なかなか明けない今年の梅雨は、
あちこちで唐突な豪雨驟雨を降らせちゃあ、
人々を縮み上がらせてもいるから困ったもので。
『とはいえ、八月に入ればさすがに、夏らしい気候にもなりましょう。』
『ああ。』
次のシーズンからの連載へ向けて、
構想練っての気鋭を満たすそのためにと、
高原への旅行なぞ、構えておいでの島田せんせい。
そういう土地は、
この長雨の置き土産、土砂崩れも起きやすくなっちゃあいないかと、
その筋のサイトへ、
下調べのアクセスをかけるのも欠かさぬ七郎次が、ふと、
そんな自分の座るソファーの向こう、
晩の涼風のとおり道になっている、
ラグの上へと寝そべる勘兵衛の方を見やってのそれから。
そんな彼のお腹へ、
その身を投げ出すようにつっ伏している久蔵に気がつき…。
「………ぷふvv」
小さな顎先、ちょこりと引っかけ、
浅い色みの作務衣を着た御主の腹を枕にして、
くうくうと無心に転た寝している小さな坊や。
金の綿毛を乗っけた小ぶりなお顔が、
台座にしているその腹 上下させられるたび、
微妙なそれながらやっぱり上下させられているのが、
何だか妙に可笑しくて。
ホントに眠っておいでなのかな、
実はわざとに遊んでおいでだとか?
堪えるのが苦しい苦笑を何とか押さえ込み、
そちらはホントに寝入ったらしきおチビさんを寝床まで運ばねばと、
立ち上がった秘書殿のお耳へ。
テレビもつけない、しんとした宵の中、
窓の外にはまた降り出したか、
耳鳴りのようなこぬか雨の声がして。
それを感じた七郎次、
あらまあと窓のほうを眺めつつ、白い頬を傾ける。
天気予報でもまだまだちっと、雨が続くと言ってはいたが、
“…それにしても、厄介な長雨ですよねぇ。”
お魚の風船との鬼ごっこや、猫じゃらし相手の狩りの練習。
ちょっと油断すると、新しい遊びを自分でもおっ始め。
ボックスティッシュを空にするなぞ序の口、
古い洋館仕様のリビングの、
普通よりも丈のあるカーテンを、頂上までへと登りきり、
自分で降りられなくなること何十回。
七郎次が片付け忘れたお届けもののリボンへじゃれて、
結果、ぐるぐる巻きの進物状態になって、
見つかったことも何度かあったし。
家の中でも十分に、元気に遊び回ってる和子ではあるが、
それでも出来れば、お外に出ての、
いろいろなものへと触れて、過ごして欲しいのが親心。
そうであればこそ、
あれほど怖がっていたカタツムリへも、
反撃の威嚇なのだろ、
首元の毛を逆立てつつ、ふーっと唸るようになった久蔵なのだし。
“お友達とも疎遠になっちゃいますものねぇ。”
雨だと逢えぬ、あちこちのお友達とあって、
このままだと世間も何も知らない、
本格的な座敷猫になっちゃうなぁと。
おっ母様にはそれもまた、かすかに憂いの種であるらしい。
……にあ?
ああ、起こしちゃいましたかね。
にゅ〜ん…。
眠いですか? ええ、そのまま寝ちゃいなさいな。
みゅう…。
はいはい、子守歌ですね。
ねんねんころりよ、おころりよ…と、
勘兵衛を起こしてはいけないからか、
か細く掠れて頼りない、小さな声にて紡がれる歌へ。
お腹から小さな温みを持ち去られた御主殿、
蓬髪へと伏せた片頬が、こそりほころんだことを七郎次は知らない…。
そして……………。
◇◇◇
昼下がりに落雷が裂いた樹は、
今風のテーマツリーなどと呼ばれていたが、
この街では知らぬ者のない古さをも誇るイチョウの大木で。
その雷をもたらした積乱雲からのものか、
どっと降り落ちた雨もあったせいで、
自然現象だ、残念なことだが仕方がないと、
人々はそうと納得したらしかったが。
《 ……。》
仔猫の姿をふるるんと解きほぐしての、
闇の中をば駈けて来た、しなやかな肢体、
月光の中へと現した邪妖狩りが、
その樹上に身を浮かし、
裂けた幹の中をじいとつくづく覗き込んでおいで。
《 …。》
そんな彼がふと、白いお顔を上げたのへ、
《 お前も気になったか。》
小さく微笑って見せたのが、
少し遠い街に身を置く、黒髪の同朋で。
七彩透かす薄絹の小袖を重ねたその上へ、
上衣と一連なりになった、
膝下までの濃色の袖のない外套重ねし痩躯といい。
こちらの青年とどこか似通った雰囲気たたえた、
だが、しっかり者の先輩格の彼は、
その名前を兵庫といって、
《 木守の霊が、
あまりに窮屈になったとぼやいたの、
天が聞き届けての仕儀というところかの。》
人への害意あっての、何物かの悪さじゃあないさねと、
指の細い手を肩の高さまで持ち上げると、
懐ろから取り出したらしき、首の細い小瓶を久蔵へと見せる。
そんな用意があったとは、
その筋のどこぞかへ、先んじて回ってから訪のうた彼なのだろう。
薄碧の無地の磁器、品のいい形をした小瓶は、同じ質の栓が嵌まっており。
もう片方の手指を添えての丁寧に、
微かに さりりという音立てて、兵庫がそれを開封した途端、
小瓶の口から立ち上ったのは、
辺りの夜陰へその輪郭をけぶらせた、霞のような何かの陰で。
《 ?》
《 案じることはない。天への道、木霊へ教える導べの香よ。》
そんな彼の言葉が消えぬうち、
痛々しい残骸のようなイチョウの幹から、
翠がかった淡い光が滲み出し。
小瓶から立ち上ってゆく香を追って、
するすると天へ登ってゆくから。
《 …寿命?》
《 そういうことだな。》
案ぜずとも、根元に新しい芽が出ている。
次の命、次の名代、
今は幼いが、やがてはこの地を統べる木霊になろうよ、と。
先程ようやく上がった雨の香も濃密な、小さな広場を見回した兵庫殿。
《 こうまできゅうきゅうと狭苦しい地におかれても、
先代の木霊はきっちりその天命を全うした。》
それも、ちゃんと次代を残してって行き届きようさね。
太古に比すれば随分と力や工夫を蓄えただろうに、
それでもまだまだ、人は危なっかしいのかねぇ…と。
嘲笑なのだか苦笑なのだか、
冴えた目許をたわませて、そんな言いよう連ねる朋輩へ、
《 ……蝶々。》
《 うっせぇなっ。
ただの首輪じゃ飽き足りなくなりやがったんだよ、あの女っ。》
さらさら躍る黒髪の陰、
首の後ろに結ばれた、そりゃあ大きな蝶々結びを指さす久蔵へ、
それまでの余裕もどこへやら、
一気に“がうっ”と咬みつく真似を見せる兵庫殿であり。
そちら様でもなかなかの平安、
この不安定な長雨の中でも堪能しておいでのご様子。
いよいよの夏が来たれば、
びろうどのような夜陰の中、迷い出る何物かも多かろが。
少なくともこのご町内は、
頼りになりそな邪妖狩りがおいでな分、安泰なんじゃあないでしょか。
群雲に厚く覆われた月夜見様、
ちょっぴり剣呑な二人を見下ろし、
しょうがない人たちですねと、
くすり苦笑しておいでかも知れませぬ……。
〜どさくさ・どっとはらい〜 09.07.28.
*ほんまになかなかすっきり晴れない長梅雨ですよね。
仔猫さんもお家遊びばかりじゃあ、飽きてくるってもんでしょに。
早くお外で遊べるようになったらいいですね。
*そして、新月の晩には、
リビングに黙りこくって座ってる、
見知らぬ金髪のお兄さんがいたりするのを、
時々シチさんが目撃してたらどうしましょう。(笑)
めるふぉvv 

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